インタビュアー:田上 / Nuxr編集長
ゲスト:野村(合同会社Boring 代表)
起業のきっかけは、バンコクの一本の旗だった
田上:野村さん、今日はよろしくお願いします。Coral eSIMを始めとして、SEOメディアを複数運営されていて、最近はAUTICLEというAI記事生成のパイプラインも事業の中核に据えていらっしゃる。事業の幅が広いのでどこから聞こうかと思っていたんですが、まず一番気になっているのが「なぜeSIMだったのか」というところで。
野村:あー、これね、よく聞かれるんですけど、答えがめちゃくちゃダサいんですよ。
田上:ダサい(笑)。
野村:バンコクのカオサン通りで一人で仕事してたんですよ。リモートで。で、ふと顔上げたら、「SIM」って書かれた旗が屋台の上でバタバタ揺れてて。それを見て「あ、俺もこれ始められんのかな」って思った。で、調べたら始められた。それだけです。
田上:それだけ(笑)。
野村:いや本当に、創業ストーリーって後から綺麗に整えられるじゃないですか。「旅で困った原体験が」とか「日本のキャリアの寡占が許せなくて」とか。それも嘘じゃないんですけど、起点はマジで旗です。風でバタバタしてた旗。
田上:でもそれって逆に、市場をめちゃくちゃ正確に観察してるとも言えるんじゃないですか。観光客が集まる場所で、しかも長期滞在者の多いカオサンで、SIM屋が成立してる。需要の証明としてはこれ以上ないっていう。
野村:そうなんですよ。後から振り返ると、あの旗ってリーンスタートアップの教科書よりよっぽど信用できるシグナルなんですよね。MVPがそこに物理的に立ってる。屋根があって、店員がいて、人が金払ってる。それを見て「自分にもできる」と直感で思えるかどうかが、起業家としての筋肉なんじゃないかなと思います。
「価格で殴る」という選択
田上:実際にCoral eSIMを始めてみて、市場の中での立ち位置はどう作っていったんですか。eSIM領域って大手も入ってきていて、けっこう競争が激しいですよね。
野村:戦い方は3つで、1つ目は普通に価格ですね。安い。これは身も蓋もないんですけど、海外旅行で「ちょっと使うだけ」のユーザーにとって、500円違うだけでめちゃくちゃデカいんですよ。あと、価格で殴るって言うと「クオリティ低そう」って思われがちなんですけど、eSIMって裏側のキャリアは結局同じだったりするので、安く出せるかどうかはほぼ仕入れと運営効率の問題なんです。だったら下げきった方が誠実だなと。
田上:誠実、というのが面白い表現ですね。
野村:高く売って粗利取って広告に突っ込むモデルって、ユーザーから見たら「広告費を払わされてる」のと同じじゃないですか。それやるくらいなら最初から安くした方がいい。
田上:2つ目は?
野村:メディアからの集客導線です。うちはsimvoyage.netとかjapaan.netとか、複数のSEOメディアを持っていて、そこからの自然流入でeSIMに送客できる構造になっている。広告費ゼロでLTVの高いユーザーが入ってくるので、価格を下げても回るんですよ。
田上:これ、後発の参入者が真似しようとしても一番難しい部分ですよね。メディアって一朝一夕には作れない。
野村:そうですね。メディアは時間が一番のコストで、それを払う覚悟があるかどうかなんです。うちは結果的にメディア側の事業も育って、AUTICLEっていうAI記事生成パイプラインの実証実験場としても機能している。eSIMとメディアが両輪で回ってる感じです。
サンゴ礁に寄付される、修復型の収益構造
田上:3つ目を聞かせてください。これ、僕も事前資料で見て一番興味を持った部分なんですが。
野村:はい、売上の一部をサンゴ礁の修復活動に寄付する仕組みを組み込んでます。「Coral」って名前自体がそこから来ていて、後付けじゃなくて最初から事業の構造の中に入っている。
田上:これ、ぶっちゃけマーケティング上のフックだと言われたら反論しづらい部分でもあると思うんですけど、どう考えてますか。
野村:めちゃくちゃ正直に言うと、「これがあるから売れる」とは思ってないです。サンゴに寄付してるからウチを選びましたって言うユーザーは正直多くない。
田上:おっと(笑)。
野村:でも、これがあると自分が腐らないんですよ。
田上:自分が、腐らない。
野村:eSIMって、究極的にはコモディティなんです。データ通信って、それ自体には物語がない。それを毎日売り続ける仕事を、5年10年続けられるかって考えた時に、「俺は今日、なんのために働いたんだっけ」って必ずなる瞬間が来る。その時に「サンゴが少しでも増えてる」っていう手触りがあるだけで、全然違う。
田上:それは事業者側のメンタルヘルスというか、持続可能性の話ですね。
野村:そうです。SDGsとかパーパス経営とかの綺麗な話じゃなくて、経営者の自分が病まないための保険ですね。逆説的なんですけど、ユーザーのためというより自分のために入れている部分が大きい。結果としてユーザーにも還元されてるならラッキー、くらいの距離感です。
田上:これ、Rory Sutherlandが言いそうな話だな。「合理的に正しいことより、心理的に持続可能なことの方が事業を強くする」みたいな。
野村:あー、まさに。サザーランドの『欲望の錬金術』、僕めちゃくちゃ好きで。合理だけで詰めると人間が壊れるんですよ。事業も壊れる。だから一見不合理に見える要素を意図的に残しておくのが、長期で勝つコツなんじゃないかなと。
起業家論:「無能であるより邪悪であれ」
田上:野村さん、好きな本にビジネスフォーパンクスとか、無能であるより邪悪であれとか、けっこう尖ったタイトルが並んでいて。起業家観についても聞きたいんですけど。
野村:起業家論、語ると老害化するんで気をつけたいんですけど(笑)。
田上:(笑)、ぜひ。
野村:日本のスタートアップ界隈で僕が違和感あるのは、「いい人すぎる」ってことなんです。プロダクトも、振る舞いも、SNSの発信も、全部上品で、お行儀がいい。
田上:いい人であることの何が問題なんですか。
野村:いい人は、選ばれないんですよ。
田上:選ばれない。
野村:「悪くない」までは行ける。でも、「これじゃなきゃダメ」にはならない。記憶に残らない、好きにならない、推されない。スタートアップって、最初の1000人のユーザーに「狂ったように好かれる」フェーズが絶対必要じゃないですか。そこで、お行儀のいい優等生プロダクトは負ける。
田上:なるほど。
野村:『無能であるより邪悪であれ』ってタイトル、誤解されがちなんですけど、別に倫理的に悪人になれって話じゃない。「無害であろうとすると、無価値になる」って話です。何かに賭けて、誰かの怒りを買ってでも立場を取れ、と。
田上:耳が痛い人が多そう(笑)。
野村:あと、働き方の話で言うと、僕は「ワークライフバランス」って言葉が嫌いで。
田上:おお、来ましたね。
野村:いや、否定はしないですよ。サラリーマンや、家庭がある人にとって超重要なのは分かる。でも、起業家がこれ言い始めたら終わりだと思っていて。
田上:起業家は仕事に全振りしろってこと?
野村:違うんです。逆です。仕事と人生を分けるという発想自体が貧しいって話で。僕、笹塚に住んでて、街でカレー屋に入って美味そうなスパイス感じたら、それが次のメディア記事のネタになる。バンコクで旗見たらそれが事業になる。Sonyのα7持って街歩いてたら写真の構図がLPデザインに転用される。全部地続きなんですよ。
田上:仕事/プライベートじゃなくて、全部が事業の素材。
野村:そう。バランスを取らなきゃいけないってことは、両方を別物だと思ってるってことで。それは多分、本当にやりたい仕事じゃないんですよ。本当にやりたい仕事は、放っておいても日常に染み出してくる。「バランスを取らないと壊れる関係」って、それもう不健全じゃないですか。
AI時代の事業家として
田上:最後に、AUTICLEとAI時代のメディア事業について聞かせてください。
野村:AI、特に生成AI周りの議論って、「効率化」の話に寄りがちなんですよね。「10倍速で記事が書ける」とか。でもそれ、全員がやり始めたら効率化は競争優位じゃなくなるんですよ。
田上:コモディティ化する。
野村:はい。だから僕がAUTICLEで考えてるのは、「AIで何を増やすか」じゃなくて「AIがあることで何が新しく可能になるか」で。例えば、空港情報メディアを今構築してるんですけど、世界79カ国444空港の記事をマトモなクオリティで一人で書くのって、AI以前は不可能だったわけです。出版社がチーム組んで何年もかけてやる仕事。
田上:それを個人レベルでやる。
野村:そう。AIは「速さ」じゃなくて「スケールの民主化」なんです。今までチームと資本がないとできなかったことを、一人でできるようにする。だから僕みたいな小さい会社こそAIで攻めるべきで、大手がAI使って効率化するのは、本質的にはあまり意味がない。
田上:なるほど。最後に、これから事業を立ち上げようとしているスタートアップの読者にメッセージを。
野村:あー、メッセージって苦手なんですけど(笑)。
田上:(笑)、お願いします。
野村:「キレイな起業ストーリーから始めるな」ってことですかね。みんな、ピッチ資料の最初のページに載せられるような綺麗な創業ストーリーを最初から探そうとする。でも、現実はカオサンの旗です。バタバタ揺れてる旗を見て「これ俺もできるかも」って思った瞬間が起点で、そのダサさを抱えたまま走った方が、たぶん遠くまで行ける。
田上:野村さん、今日はありがとうございました。
野村:ありがとうございました。
Coral eSIMについて:合同会社Boringが提供する、海外旅行者向けeSIMサービス。価格優位性に加え、売上の一部がサンゴ礁修復活動に寄付される仕組みを採用。